伊能忠敬e史料館
         “伊能忠敬”に関してあらゆることがわかる百科事典(Inoh_Tadataka-Encyclopedia)です。
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入江専門研究室a
伊能忠敬 長崎県測量 受け入れ側文書

伊能忠敬は長崎県内を文化九年十月二十九日(1812年12月2日)から文化十年九月二十一日(1813年10月14日)まで317日の長期間測量を行いました。

その間の記録は『伊能忠敬 測量日記』に詳しく書かれていますが、受け入れ側の文書も県内各地に残されました。
その両方の記録によって伊能測量では何が行われ、対応はどのようなものであったのかを測量順に紹介します。

すべて解読文です。読み違いの文字についてはご容赦ください。  

 
         InoPediaをつくる会 会員 入江 正利

 郡方と請役所の日記ではないかと思われます。

 測量隊の止宿に用意する品々や、諫早鍋島家の古城跡(高城のことか?)を測量隊に見られたくない等の記述が書かれています。

 島原半島のほとんどは島原藩ですが、神代(こうじろ)地区は佐賀鍋島藩の領地でした。全国でも同じ内容の書上が存在しますが、ここでも村々の書上と測量隊への応対が細かく書かれています。現在は長崎県雲仙市国見町神代です。

 参考ページ TOP > 《伊能忠敬と伊能図の大事典》サイトマップ > 測量を支えた各地の記録(共通) > 北九州地域の記録 >島原領測量と島原藩の地図作成 研究会会員松尾卓次氏

 神代藩の役人の日記

 佐賀藩神代領下郡代の日記

 伊能図や測量器具を購入した時の明細や領収書。残念ながら伊能図は発見されていません


 大村藩は伊能測量には熱心だったが、残された史料は少ない。

 吉永斧左衛門による記録

 『かっしやわ』。第九代藩主松浦静山による記録


 松浦史料博物館が所蔵する伊能図の副書

 参考ページ TOP > 《伊能忠敬と伊能図の大事典》サイトマップ > PDFだけのページ >松浦資料館 渡辺一郎氏

 参考ページ  TOP > 《伊能忠敬と伊能図の大事典》サイトマップ >伊能図資料室>諸侯の依頼による地図仕立て 渡辺一郎氏


 松浦市の伊能測量に関する文書。
 坂部隊一行の宿割りなどが記載されています。


 
   詳しい前触れと、参考資料として肥後細川藩の書上が記されています。対馬藩から命を受けた郡奉行所佐役 中村郷左衛門は、壱岐で伊能測量隊を待ち受け、測量に関する情報を入手します。伊能忠敬や坂部貞兵衛と測量に関する話し合いも記されています


 しおり付き 157ページ 1,303KB PDF


 
  測量隊到着前から五島へ出帆するまでの、測量に関する藩内での御用留め書きが集められています。その他、関わった者への褒賞や、測量隊の江戸からの礼状も含まれています。

  しおり付き 150ページ 1,243KB PDF


 
  測量隊対馬到着から五島送りまでの日記が記されています。忠敬と郷左衛門との内輪話や、贈り物に対するクレームも隠さず記されています。

  しおり付き 128ページ 1,152KB PDF


 
  伊能測量隊へ提出した詳細な書上や、延喜式内社についても記されています。

  しおり付き 115ページ 712KB PDF


 
  測量に関わった人夫の人数や費用等を各郷別に集計した明細帳です。かなりの人数が様々な役割のために集められました。

  しおり付き 143ページ 775KB PDF



 五島奈留庄屋山本家の文書

 参考ページ TOP > 《伊能忠敬と伊能図の大事典》サイトマップ > PDFだけのページ >五島  岡本暉子氏

 青方文書  青方運善 弘化三年(1846年)

 五島福江藩の日記を編纂したもの
 領内で争論のある境目について如何にすべきかとか、坂部貞兵衛が病死したことが書かれています。
 参考ページ TOP > 《伊能忠敬と伊能図の大事典》サイトマップ > 伊能忠敬史料室 > ●地域史料:西日本 >五島の歴史と風土 的野 圭志氏

 公領長崎に残された短い記録
 伊能忠敬関係のみ

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