伊能忠敬e史料館
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伊能忠敬と伊能図入門
 江戸時代の後期、50歳で隠居してから江戸へ出て学問に励み、北の果て北海道から南端の種子島まで、約3.5万キロの測量旅行をおこない、最新技術を駆使したヨーロッパ諸国の地図に較べて遜色がない精密な大日本沿海実測全図を作成した伊能忠敬
 
 伊能忠敬記念館には、忠敬の遺書・遺品215種、961点が保管展示されていて、いずれも歴史資料として国宝に近々指定される。これらの遺書・遺品のなかで特筆すべきは勿論伊能図であるが、いまひとつ記念館を訪問した人々の心を捉えるのは、忠敬が50歳を過ぎてから十七年間にわたって、日本全国を測量しながら綴った「日記」と「測量日記」である。
 
 その日記や測量日記には、十次にわたって測量した、3753日の日々の様子
(
天気、通過した街道、宿駅、村高、支配、家数、人数、案内人、来
訪者、本陣・脇本障の名と家作の良否、諸藩からの贈答品とその処理
方法、街道筋の寺社名所とそこに保管されていた書画骨董名など
) が一日も欠かさずに、一字一字丁寧に記されている。

 ここのページは、そんなことを成し遂げた伊能忠敬という人物の人と形(ナリ)及び伊能図を知るための入り口で、以下のことを記載しています

・伊能忠敬はどんな人か(忠敬略伝)
・伊能忠敬と伊能図
・伊能図序説
・伊能図解説
  ・伊能図の内容と構成    鈴木 純子
  ・伊能図 発見の歴史    渡辺 一郎
  ・伊能図を所蔵した諸侯・個人
・その他

  ・深川で緯度一分を測る
  ・伊能忠敬の意外な側面


 伊能忠敬は、下総(千葉県)の佐原で、事業家として成功したあと49歳で隠居し、50歳のとき江戸に出て、天文・暦学を修める。

 きっかけをつかんで地図作りを始め、17年かけて日本全土を測量し、初めての実測による日本全図を作成するという壮挙を成し遂げた。隠居後に在職中を遥かに上回る大仕事を達成したことが、いまの世の中の関心をよんで、静かなブームとなっている。詳細はタイトルをクリック

 
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  江戸後期の測量家・伊能忠敬は、1745年、九十九里浜の小関(こぜき)村に生まれた。17歳のとき、下総国佐原の酒造家・伊能三郎右衛門家の養子となる。事業家として成功をおさめ、村政にも尽力したのち、満49歳のとき隠居して、翌年、江戸に出た。
 
   江戸では、暦学者・高橋至時(よしとき)に師事する。高橋は、寛政の改暦のため、大坂城警備の玉造(たまつくり)組同心から旗本の幕府天文方に抜擢された新進の暦学者であった。高橋のもとで天文・暦学を学ぶこと数年、忠敬は、幕府天文台に匹敵する規模の観測所を設け、熱心に観測をおこない、暦算を学ぶ。
 
 幕命により、蝦夷地(えぞち)測量に向かい、緯度1度の距離を測定しながら、日本国土の実測をはじめる。精緻な測量作業とでき上がった地図の見事さが評価されて、以後9回にわたり測量を命じられ、ついに日本全土を測量することになった。1800年(寛政12)に蝦夷地測量を開始してから、17年たって測量を完了し、忠敬の死後3年余の1821年(文政4)に日本全図の完成を見た。
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 伊能図とは 
 
 
伊能測量隊が制作した日本図のことを伊能図と総称しており、部分的な図と日本全図がある。伊能隊は10回にわたった測量旅行において、その都度(第三次測量を除く)測量した地域の地図を作成して幕府に提出しているし、測量地域に関係なく制作した地図もあったので、作成された伊能図の総数は、知られているだけで約440種類にも達する。

 これを縮尺と描画内容により分類すると、大図特別大図中図小図特別小図特別地域図江戸府内図官板実測日本地図、などに分けることができる。また提出年を冠して、寛政12年大図文化6年中図、文化元年小図と呼ぶこともある。
途中提出の伊能図は部分的な日本図であるが、最終提出図は日本全図だった。

 種類が多くて混乱するが、ただ伊能図という場合は最終本・伊能図を指すことが多い。途中段階の伊能図は、文化元年伊能小図というように提出年を加えないと、何年に提出した小図か判断ができない。

 
特別大図は伊豆七島のみで制作された大縮尺の図である。特別地域図は景勝地の厳島、天橋立、琵琶湖と伝存しないが浜名湖の部分だけ作られた鑑賞用の地図である。特別小図は小図をさらに縮尺2分の1にしたもの。シーボルト事件の発端となったのはカナで書かれた特別小図だった。江戸府内図は江戸内部の主要道路を計測した大縮尺の図である。

 官板実測日本地図は、幕末の慶応元年に幕府開成所から、伊能小図に北海道の内陸部と樺太のデータを追加して、木版刷りで刊行されたもので、伊能隊以外の測量データが追加されているが、伊能図の最終完成品ともいえる日本図である。

 
その他に、忠敬が測量を開始するキッカケとなった江戸で緯度一分を測定した黒江町浅草測量図や自作地球図などがあるが、地図と呼べるほどのものではない。
 
いっぽう、現存する各種伊能図をその成立過程で分類すると、次のように分けることができる。

正本:幕府に提出された図。大日本沿海輿地全図と名づけられた最終図は、幕府の紅葉山文庫に収納され明治政府に引き継がれたが、明治初年に複製制作のため太政官に貸し出し中に焼失した。しかし、中間段階の提出図は必ずしも幕府の書庫に収納されたとはいい切れない面がある。今後の調査によっては途中段階の提出本が確認できる可能性がある。

副本:針穴(後述)があって、正本に準じて制作され、完成度が旧伊能家控図(現在は伊能忠敬記念館所蔵)と同等以上の図をいう。東京国立博物館の中図(豊橋藩主・大河内松平家旧蔵)、徳島大学図書館の諸図(徳島藩主・蜂須賀家旧蔵)、仏人・イブ・ペイレ氏旧蔵の中図(伝来不詳)などが、これに該当する。

写本:江戸時代に手書きで模写された図。丁寧に写されれば写本でも副本と変わらない。伝存する写本のなかには東京都立中央図書館蔵の小図(幕末に老中・阿部伊勢守の指示により、天文方で写図)、神戸市立博物館蔵の小図(伝来不詳)のような素晴らしい図から、粗末な模写図まで色々あり、玉石混交である。

稿本:副本と同じ方法で作成されたが、何らかの理由で完成されなかった図をいう。京都大学図書館の伊能諸図(土浦の内田家旧蔵)や、個人蔵の伊能図に見られる。

模写本:明治以降、伊能図の面影を伝えるため、手書きで模写された図。専門家の模写で、特長のある貴重な図が多い。国立国会図書館蔵伊能大図、アメリカ議会図書館蔵伊能大図、日本学士院蔵伊能中図、海上保安庁海洋情報部蔵伊能大図がこれに該当する。

複製図:機械的手法で複製された図。
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・伊能図の内容と構成    鈴木 純子
・伊能図 発見の歴史    渡辺 一郎
・伊能図を所蔵した諸侯・個人
 
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・深川で緯度一分を測る
・伊能忠敬の意外な側面

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