伊能忠敬e史料館
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2.米国議会図書館


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アメリカ大図(第117号:伊勢
 五次測量で測られた伊勢市の付近である。伊能隊は海岸線と街道を測りながら伊勢に着き、山田に5泊、宇治に3泊する。ここにある測線は、ほとんど山田または宇治から通いで測定された。測量開始地点に着くまでの途中も結構大変だったろう。こういう道中はたぶん、忠敬は駕籠だった。大湊の地形は、今では大分形が変わっているが、当時の大湊周辺がよく測られている。この図はすでに新聞発表したから御記憶の方も多いと思う。117号全体は非着色であるが、この部分だけが着色されている。明治陸軍の関係者は、丁寧に測量され、細かく測線が描かれている大湊周辺図に忠敬の特別な想いを感じたのであろうか。
 第五次測量では忠敬は、幕府測量隊として17名の隊員を従えていた。個人事業の頃とは違って地元の支援も大きく、実力が大きくなっていたので、複雑な入り江も丁寧に計測された。その結果が大幅な日程遅れにつながり、三年くらいの予定で始めた西国測量が11年かかることになってしまった。現在の大湊は、僅かの水路を残すのみであるが、かつては、このように大規模な良港であった。九鬼水軍の根拠地で、織田信長が毛利水軍を破った新兵器鉄甲船はここで建造されたという。

 
アメリカ大図(第64号:象潟)
 “象潟や 雨に西施が ねぶの花
 この俳句は松尾芭蕉が奥の細道最北の地として1689年8月に敢えて訪れた
象潟で詠んだものです。西施とは中国四大美人の一人で、最後は西湖で入水したとの伝説があることから西湖のように美しい象潟の湖を詠んだとされています。その象潟の湖と噴火する鳥海山が描かれています。伊能測量は、文化元年 (1804年) の象潟地震の直前であり、 現在は、乾陸化した象潟の当時の状況を見ることができます。拡大図を見ますと、象潟の周囲が測量されており、湖岸には、小さい島のようなものが多数描かれています。これは、現在乾隆化した水田に見られる過去の鳥海山の噴火に伴う泥流の流れ山かと思われます。鳥海山も噴火している様子が描かれており、200年前の姿を目の当たりに出来ているようです。

 
アメリカ大図(第111号:浜名湖)
 天竜川は拡大図から明らかなように、流路を藍色で、河原を黄橙色で塗り分け、測線が天竜川を横断しています。海岸も黄橙色に彩色され、砂浜が続く海岸であることを示している。浜名湖と佐鳴湖は、湖岸線がくまなく測量されている。浜松、 掛川、横須賀の三城が描かれ、それぞれ井上河内守居城、太田摂津守居城、西尾隠岐守居城と書いてある。交替寄合の旗本の在所も、気賀の近藤縫殿助、宮一色村の秋元隼人正、大谷村の近藤豊太郎が見られる。各村の領主の姓名が細かく記載されている。
 
アメリカ大図(第135号:大阪)
 淀川は、幅広く中州も詳しく描かれており、未測の部分もあるが、分流する三角州の状況が表現されている。淀川にかかる天満、天神、難波の三橋が描かれている。ひときわ目に付くのは大阪城であり、石垣など豪壮に描かれている。その他、尼崎には城が描かれ、松平奥一居城と書かれている。天王寺 (四天王寺)、東西本願寺、住吉社などが大きく描かれている。
 
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