伊能忠敬e史料館
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9.西日本の博物館、図書館等
・神戸市立博物館
・山口県文書館毛利文庫
・松浦史料博物館
・長崎県立歴史博物館
・入船山記念館
・呉市教育委員会
・名古屋市立図書館
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神戸市立博物館
 日本輿地図藁
 文化7年、九州測量完了以前に高橋景保が、幕命により他の資料をもとにまとめた日本図。この1枚しか現存しない。
 
山口県文書館毛利文庫
 伊能大図 
長州藩に伝えられた藩領部分の大図。御両国測量絵図という名前がついているが、針穴があって伊能隊制作の副本。長州藩の希望により制作されてものと思われる。全7枚。来歴の記録は見つかっていない。
 この伊能図は、防長両国の範囲の針穴の鮮明な大図である。七舗の構成はつぎのとおり。
    第1    195.0 x 106.5cm  赤間関より角島
    第2     195.0 x 107.0cm   小郡より三隅村
    第3     196.0 x 107.0cm   三田尻より福井郷、津和野
    第4     107.5 x 180.0cm  北岸、奈古村から小濱村
    第5     195.0 x 107.5cm  熊毛郡、玖珂郡
    第6     107.5 x 195.0cm  八代島
    第7     107.5 x  90.5cm  内海の離島、および凡例
 保柳睦美著「伊能忠敬の科学的業績」所載の文政四年大図目録において、防長両国の大図は169号、173号、174号、175号、176号、177号、178号の七舗となっており、枚数は一致する。しかしながら、第一図とこれに相当する178号を比較すると、第一図は赤間関以北の毛利領を主体とするのに対し、178号の範囲は赤間関より筑前若松浦、豊前小倉まで含んでおり毛利領は僅かである。図の分割方法が一致しない。
 方位線、経緯線はない。測線、地名のほかに、国界(黒色の)、郡界(黒色の)、村界(黒色の●)国名、郡名、領分境、領主名を記す。萩、津和野の城下は城の絵を描き、岩国、徳山等の分家は館を描く。最終版大図は標準品がないので、何れが正規なものか分からないが、国界、郡界の記号を黒で描く点は他の大図と異なる。
 山景の緑は黄味が少ないが濃く鮮明。海岸の砂地は黄色、平野部はピンクと茶の中間的な色、森、林、田畑、沿道の家並を写生する。文字の墨は少し薄いが達筆、書体は他の伊能図に見られるものと類似する。接合記号があり、折り跡がわかる。天測地点の記入はない。社寺の記号は少ない。寺名があって印がないもの、神社の印があって名称がないものがある。宿場は記号でなく、 ○○宿と表示。
 汚れ、傷、虫食いは殆どない。裏打ちはなく、針穴は裏まで通っている。透かしてみると、測線のみでなく沿道の個々の山々の頂上、田畑の印の位置、海岸線にも針穴が連続し、風景まで針穴で写されたもの。針穴がありながら、一部の測線の描き忘れもみられる。
 以上を通して考えると、本図は文政 4 年大図の忠実な副本ではなく、毛利藩の希望により伊能測量隊で、防長両国の範囲の大図から他領の部分を除き、描図範囲を少し変更して副本と同じように作成した大図ではないだろうか。その際、国界、郡界等の記号の色を変えて副本と少し異なることを表現したようにおもわれる。いずれにしても、文政四年大図は殆ど残っていないので、貴重な存在である。文政四年大図として整理して良いと思われる。なお、測線の分布は文政四年中図と比較して脱落している部分はないから、作成時期は最終版の完成後である。

 
松浦史料博物館
  平戸侯松浦静山から忠敬に依頼があり、謹呈を約束していたが、生前に果たせず、死後内弟子・保木敬蔵が制作して、高橋景保から謹呈された。平戸、壱岐、長崎(一部)の大図である。副本で針穴があるが、入手の経過、礼物などの記録がある唯一の伊能図である。
 
長崎県立歴史博物館
長崎市立博物館蔵 伊能諸図
 
沿海地図 小図(軸装、252 X 141cm)

描図形式、書体は国立国会図書館の地図室にある堀田家伝来の沿海小図とよく似て優良。虫、傷全くない。緯線(緯度記入し経度記入なし)、方位線はある。表示記号は天測のを含めて全て揃う。凡例の・・・続きはpdfをクリック
 
入船山記念館
 
呉市教育委員会
 
名古屋市立図書館
  逢左文庫蔵 沿海地図小図

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