伊能忠敬e史料館
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伊能図資料室

 この部屋では、伊能図を論考した下記のような資料を閲覧することができます。

・伊能図発見の歴史
・伊能図の内容と構成

・実測録
・伊能大図地名索引
・諸侯の依頼による地図仕立て
全国の居城陣屋の所在地と領主名
・伊能図を所蔵していた諸侯、個人一覧
・松浦史料博物館の大・中・小図(平戸)
・伊能図と官板實測日本地圓
・「官板実測日本地図」 論考
・忠敬は地図の出版を意図していたか?
・旧海兵蔵、伊能小図の行方
・幕末から明治初年にかけての日本近海英国海図
・海上保安庁蔵、伊能大図調査報告
・本州東海岸測量の凡例の草稿
・伊能図は秘図ではなかった
・伊能図各論
・伊能図総覧の地名と景観
・品川より六郷川手前までの伊能図
・伊能図の色
「伊能大図謄写図」調査概報
佐渡「伊能大図」の写本発見
・京都標準子午線
・近代での伊能図の働き−軍管区図−
・伊能忠敬:長崎県測量の軌跡
・伊能大図とアイヌ語
・間宮林蔵の蝦夷地測量
・伊能小図を訪ねて
・大図の誤記と二度目のご奉公
・伊能図にみる朝鮮の山々

忠敬が描いた地球図
・伊能忠敬大日本沿海輿地全図(大図)
・伊能図における経線のズレについて(1)
・伊能図における経線のズレについて(2)
・学習院大学図書館蔵伊能中図を見直す
・「私の伊能図発見史」PART I
言葉で探す:
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・実測録
    画像 または タイトルのクリックで全文を表示できます
・伊能大図地名索引
      星埜 由尚
 







上表の形式で、
・地名とその属性(掲載されている伊能大図号数、その地名の意味<国名/郡名/島名/山名河川・湖沼名/海岸名/寺社名/居城・陣屋名/領地・知行名・宿駅名/天測点名/湊名/関所名/名所旧跡名/橋名/温泉名>)
をリストアップしてあります。


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伊能大図総覧の地名と景観
                   星埜 由尚  「研究会報 第47号〜」
詳細はタイトルクリック
続 伊能大図総覧の地名と景観
詳細はタイトルクリック

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●諸侯の依頼による地図仕立て
           渡辺一郎    季刊 伊能忠敬研究 第9号 (1996年秋季号)より

 諸侯等の要請により伊能グループの手で製作された伊能図がどのような経過で依頼され、どの位の礼物を払って入手されたものかについての史料は、これまで見あたらなかった。
 伊能図を求めて歩いているうち、偶々平戸の松浦歴史博物館と島原市の榊原郷土史料館で、伊能図の依頼と礼物について記した文書を発見したので紹介する。
 
 平戸の文書は、松浦藩が伝えている伊能図の副書で、同図の来歴を明らかにするものである。島原市の文書は礼物の受取りと経費明細で、島原藩が伊能図を依頼し、代金と引換て受取ったことが明かである。しかし残念ながら島原で伊能図は見つかっていない。
(続きはタイトルをクリック)
全国の居城陣屋の所在地と領主名
●伊能図を所蔵していた諸侯、個人一覧
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●松浦史料博物館の大・中・小図(平戸)
       渡辺一郎   季刊 伊能忠敬研究 第9号 (1996年秋季号)より
 かねてから、西海の島平戸の松浦史料館に伊能大図があると知っていたので、夏休みを利用して思い切って訪問することとした。聞いていたのは、平戸領の大図一枚とのことであったが、行ってみると副書付きの、何処にもまけない素晴らしい伊能図八舗が所蔵されていてビックリした。
 
 松浦史料博物館の伊能図は次の八舗である。
 
 伊能大図 
       
平戸藩領すなわち平戸島と対岸の一部を描く一軸 (縦132cm、横115cm)
       壱岐島のみの一軸(縦121cm、横114cm)
       五島列島を描く一紬(縦270cm、横115cm)
       佐世保・長崎を描く一軸(縦269cm、横115cm)
 
 伊能中図 西国海路図と題し、中図の縮尺と描図法で書かれた、
       大阪から瀬戸内経由長崎までの海路両岸のみの中図。
       大阪から備後 一軸(縦59cm、横125cm)
       広島から博多 一軸(縦58cm、横125cm)
       博多から長崎 一軸(149cm、横125cm)
 
 伊能小図 九州のみを描く一紬(縦132cm、横114cm)
    続きはタイトルをクリック

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●伊能図と官板實測日本地圓
    清水 靖夫  立教高校教諭  季刊 伊能忠敬研究 第10号より
 官板實測日本地圓四舗は、江戸期に国内で版行された唯一の、伊能関係図である。
本稿は、官板實測日本地圓(以下官板実測図と略称)の「北蝦夷」「蝦夷諸島」の二舗を除く本州・四国・九州の部分について、若干の私見を記すものである。
 
 幕命を受けて伊能忠敬等によって作成された諸図(以下伊能図と略称)は、幕府上呈本のほか、必要に応じて手写されている。原本は二度の災禍で失われたが、近年、諸研究者の調査によって、諸写図が各地に存在することが判明してきた。しかし、「大図」の大部分は未だ知られず、「小図」については、神戸市立博物館所蔵(旧南波松太郎蔵)の北海道部分と西日本部分の二舗、阿部正道氏蔵の北海道一舗を除いては、国内での存在は知られていない。

  シーボルトは、帰国後1840年日本地図を作製したが、限られた情報の中で、伊能図以前の諸情報(諸地物)を、彼の作った地図に盛り込んでしまっている。また、1861(文久元)年日本近海の測量を強行しよぅとしていたイギリス海軍のアクティオン号に、撰夷を恐れた幕府(軍艦方)は伊能小図を与えている。その結果、英国海図2347号の日本の形は著しく良くなっている。この、英国に残されていた伊能小図によって、諸図との比較が容易となった。
 
 官板実測図は、前に記したよぅに幕末に刊行された唯一の伊能図に関する地図である。幕府系の諸図は、代々世襲の宮田六左衛門(通称 天神山 京橋区南伝馬町に居住 昭和30年頃当(12)代主人に秋岡博士と共に面談)に彫刻させていた。「官板実測図」も第九代の宮田六左衛門に拠るものであったという。
 
 「官板実測図」についての、記述は多くない。伊能図からの編纂図として、明治以来の古地図研究者には、軽んじてこられた。秋岡博士は、伊能図の関係図として、名称と表紙の色による分類程度に止めてあり(秋岡1955・1971)、保柳博士は、江戸時代における伊能図の利用(保柳1974)の中で「慶応年間に開成所から伊能小図を基とした官板実測日本地図(木板刷、明治三年に大学南校から修正再版)が刊行された。しかしこれは粗末なものであったし、近海の航行用以外には、どの程度に利用されたものか明かでない。」として、官板実測図については、記述の対象にはなっていない。
 
  明冶期あるいはその直前に刊行された地図は、古地図とするには忍びなかったのであろうし、また、生活をしていた時代でもあった。また、伊能図の地誌的な興味は、専ら大図(縮尺36,000分1)と中図(縮尺216,000分1)に集中し、小縮尺編纂図である小図への関心は、上記二図に較べると小さかったと考えられる。
 
  その結果、失われた小図(実際には神戸市立博物館の南波博士旧蔵図があったが、中央部を欠いていた)と官板実測図との比較は、する術もなく、また行われた形跡はない。また、官板実測図は「伊能図とその他の資料」からの編纂が、常識的に通用することとなった。勿論、伊能忠敬らの測量に拠らない「北蝦夷」は村垣与三郎、「蝦夷諸島」は松浦武四郎他の資料に拠ったことが知られている(秋岡1971)。

  一方、「畿内…」には伊豆七島・八丈島の南方に青ケ島、小笠原諸島が加えられており、これは、幕府の他の資料に拠ったものであり、「山陰…」の先島諸島も、これは伊能忠敬らの測量範囲ではなかった。続きはタイトルをクリック

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官板実測日本地図」 論考
    その編纂過程と図の内容・種類

       高木崇世芝 伊能忠敬研究 第 27 号 2001年


 伊能小図にもとづいて作成された「官板実測日本地図」(全四枚組)は、日本地図学史上においても、また、多くの古地図の中でも知名度ぶ高く、地図関係者にはよく知られている。しかし、そのわりに評価は必ずしも高くはない。その理由は多分つぎのようなことであろう。

@伊能図を基本としていながら伊能図そのものではない。
・伊能図に描写されていない地域や内陸部が追加され、さらに、伊能図にないカラフト島図までも加わり、伊能図とは別図の扱いを受けている。
・伊能図(小図)と同じ縮尺をもつ大型日本図でありながら、彩色が水色と灰色の二色という地味な図で、伊能図の精彩で華やかな感じが見られない,
A幕府終焉の直前に刊行されたためか、幾度も版を重ねながら、明治以降の近代地図作製に影響を与えた形跡がない。
B現存数が多く、ごくありふれた図と見倣されている。

 以上のよぅなことから本図は、伊能忠敬研究でも、伊能図研究でもわずかに触れられる程度で大きく取り上げられることはない。また、本図について言及した文献を読んでみても、必ずしも正確といえないものがあり、編纂から刊行にいたる経過や、地図そのものを詳細に調査した論文も見あたらない。
 本稿では、円官板実so日本地図口に言及する文献を検討しながら、これまでの調査結果を述べてみたいと思う。

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●忠敬は地図の出版を意図していたか?
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●旧海兵蔵、伊能小図の行方
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●幕末から明治初年にかけての日本近海英国海図
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●海上保安庁蔵、伊能大図調査報告
    (論文全体はタイトルをクリック)
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●本州東海岸測量の凡例の草稿
              渡辺  一郎   季刊 伊能忠敬研究 第12号より
   世田谷の伊能家にあった本州東海岸測量の凡例の草稿

 享和二年に提出された本州東海岸測量の伊能図は、伊能記念館と早稲田大学付属図書館に現存するが、いずれも凡例はない。しかしながら、凡例の草稿と思われる史料が伊能家で反古を整理中に見つかった。
 第二次測量の本州東海岸の図にも凡例があったようである。(忠敬の筆跡ではない)

豆州以東至蝦夷沿海道路里程図凡例
 
 この間の城下、陣屋、その外道筋、神社、仏閣の記号入りの事
一、沿海図大小二図に製す。大図は州郡村里の分界、道路・河川の形象を細密に図せん事を要す。但し、図象頗る大にして観覧に便ならず。故に分て十図とす。小図はその全形を見るに便利あらん。為に前年測量する蝦夷図連綴して全図に製す。

  而して大図は曲尺三寸六分を道程一里とす。即ち三十六町、曲尺一分一町に当る。一間六尺とし、一町六十間とする。小図は大図の十二分の一に製す。故に曲尺の三分は道程一里に応ず。一分は十二町に当たるなり。此処より彼処に至り幾里なること、左右前後一覧し知るべし。

  たとえば、相州浦賀、豆州下田等より奥州海辺にいたり、あるいは蝦夷地等への海路反び陸路も、皆
道路にしたがって絹線を引き施すとき、その里程幾里なることを知る。唯平坦の地は寸尺差なしといえども、山澤等の険局曲の処は図上の寸尺縮まるなり。
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・伊能図は秘図ではなかった
         日本経済新聞2003.11.15より
 伊能忠敬新たな実像
測量図の出版意図示す書簡揺らぐ「幕府の秘図」説

 江戸時代後期、日本全国を測量して地図を製作した伊能忠敬(1745-1818)の未公開書簡がこのほど明らかになった。その中には幕府の「秘図」といわれていた地図を出版する意図があったことをうかがわせる文章など、従来の伊能忠敬像に修正を迫る重要な史料が含まれている。
   (続きはタイトルをクリック)
更新日: 2010年5月19日
 
伊能図各論
      渡辺一郎    季刊 伊能忠敬研究  第14号より

・1800年(寛政12)提出図
・1802年(享和 2)提出図
・第3・4次測量の図
・1804年(文化元年)提出 日本東半分沿海地図
・1807年以降の提出図
・畿内・中国沿海地図
・伊能記念館の伊能図
・1821年(文政4年)提出 最終版伊能図
・最終版大図
・最終版中図
・最終版小図
・特殊な伊能図

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品川より六郷川手前までの伊能図
        植田 公一 研究会報第37号
 佐原の伊能忠敬記念館を見学した時、気になる絵地図が展示されてあった。大森・羽田・六郷の実測図らしい地図であった。さきごろ、思い出して佐原を再訪してみた。気になっていた図面は「品川より六郷川手前迄の図」と題されている地図で、半紙大の和紙に品川の南端
を起点に大森から羽田道に入り、羽田弁天、六郷の渡しまで測量線がのぴ、海岸(川岸)線が描かれ、山・田・埜・海川が四色に色分けされているものである(図名は現管理者が展示用に書いたものと思われる)。
 この図面を手に羽田道を歩いてみたいと思ったが、展示品類は撮影禁止と掲示がある。そこで手持ちの紙に写し始めたが、展示ケースのガラス越しなので測量線の小さい曲折に手古摺る。随分こまかく測量したものよと感じ入りながら二時間ぐらいで作業を終わる。写し終えたものを原図と見比べると、不満足なしろものであるが、その日は一たん終わりとし、他日再挑戦することにする。
 帰宅後、写し終えたものを現在の地図と対照したり、図中の地名、伊能忠敬の地図づくりの方法などについて詞べる。
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●伊能図の色
      浅井 京子    研究会報第22号
 「伊能図」は、華やかできれいな地図です。山の緑に誘われ、赤い測線をたどってなじみの地名をみつけていくうちに虜になってしまうのでしょうか。でもよく見ると地図そのものの部分にさほどたくさんの色数を使っているわけでもないのです。
 「伊能忠敬記念館の青木司さんが、伊能図に使われている絵具を調べたいといっているのだけれど、ちょっと時間を作って」こんな伊能陽子さんの電話からこの話は始まりました。 


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●「伊能大図謄写図」調査概報
 
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・京都標準子午線
伊能忠敬はなぜ京都標準子午線を用いたか?
                        吉田 正人
 「伊能忠敬はなぜ京都標準子午線を用いたか?」ということに興味を持ったのは、日本国際地図学会によって復刻された「大日本沿海実測図ち伊能中図」を見たときのことである。そこには京都の南北に黒々と子午線が引かれ「中度」と書かれていた。英国のグリニッジを起点とする国際標準子午線が採択されるのは、1884年のことであるから、伊能図に明石を135度とする子午線が引かれていないのは当然のことだが、幕命によって作成した地図の標準子午線がなぜ江戸ではなく京都を基準としているのだろうか?
佐渡「伊能大図」の写本発見
 
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・近代での伊能図の働き−軍管区図−
   清水 靖夫    研究会報 第29号

 いままで、明治維新以後の幾つかの伊能図の働きについて調べてきたが、その具体的な類例について、触れてみたい。
 明冶維新後、旧幕府勢力の一部には、薩長土肥による維新政府の行き方に対する不満などから、武力鋒起による小競り合いが、日本各地で起こっていた。その中で最も大規模な、最終の武力抗争は明治十(1877)年の西南戦争であった。表向きこれによって旧勢カとの決別が済んだ形となる。
 明治維新以後、幾つかの地図測量・地図調製機関が政府部内に誕生し、分離統合を繰り返していた。ここでは、陸軍系の地図作成の一つを取り上げてみた。

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伊能忠敬:長崎県測量の軌跡
(詳細はタイトルをクリック)
 
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・伊能大図とアイヌ語地名研究
 
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・間宮林蔵の蝦夷地測量
 
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・伊能小図を訪ねて
 
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・大図の誤記と二度目のご奉公
 
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●・伊能図にみる朝鮮の山々
 
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・忠敬が描いた地球図
 
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・伊能忠敬大日本沿海輿地全図(大図)
 
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・伊能図における経線のズレについて(1)
 
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『伊能図における経線のズレについて(2)』
 
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・学習院大学図書館蔵伊能中図を見直す

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・「私の伊能図発見史」PART I

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